魔法少女リリカルなのはCabriolet 【01-2】
「この前みんなに調べてもらった通り、この町にもたくさんのお店がありましたね。そこで働く人たちの様子や工夫を、実際に見て、聞いて、大変勉強になったと思います」
四時間目の授業は、社会だった。
教壇に立つ先生はにこやかに微笑みながら、生徒たちに語りかけていた。後ろの黒板には簡単な地図と、前回の授業で調べた「お店しらべのまとめ」が書きつけられている。
優子はじわじわと迫る睡魔に抗いながら、眉間にしわを寄せて黒板を見つめていた。ふと隣に座るアリサを見ると、しかめっつらでノートに落書きをしていて、優子は小さく笑いをかみ殺した。
「このように、色々な場所で、色々な仕事があるわけですが、みんなは将来どんなお仕事につきたいですか?」
先生が問いかけるように生徒たちの顔を見渡し、ことん、とチョークを置いた。
「今から考えてみるのもいいかも知れませんね」
話を締めくくったところで、チャイムが鳴った。
昼休みに入り、生徒たちは思い思い机をくっつけ始める。優子も、すずかたち三人と連れだって屋上へ向かった。
生徒たちに開放されている屋上は庭園のように整備されていて、優子たちはそこのベンチに並んで座る。
「将来かぁ……」
めいめい弁当をつついていると、不意になのはが憂鬱そうなため息をこぼした。
「悩みごと? なのは」
「うん……さっきの授業のことなんだけど」
将来の仕事か、と優子はうなずいた。隣を振り返りながら、
「すずかとアリサは、もうだいたい決まってるんだっけ?」
問われて、アリサは考え込むように視線を上げ、
「うちは、お父さんもお母さんも会社経営だし、いっぱい勉強して、ちゃんと跡を継がなきゃ――ぐらいだけど?」
「わたしは機械系が好きだから、工学系で専門職がいいなー、と思ってるけど」
「そっかー……二人ともすごいよねえ」
吐息を一つ。
落ち込んだように視線をそらすなのはに、アリサが首をかしげる。
「でもなのはは、喫茶・翠屋の二代目じゃないの?」
「うーん……それも将来のビジョンのひとつではあるんだけど。やりたいことは、何かあるような気もするんだけど、まだそれが何なのかはっきりしないんだ」
「別に焦る必要はないんじゃないかな」
優子が弁当箱をつつきながら、平坦につぶやく。
「わたしも、将来の仕事なんてピンとこないよ。大学に進んで、もっと難しい勉強をしたいとは思うけど、自分が働くなんて全然想像もつかない」
「でも……わたし、特技も取り柄も、特にないし……」
「っ、ばかちーん!」
怒声。
びくりと顔を上げたなのはの頬に、輪切りのレモンがぺしりと張りついた。レモンを投げつけたアリサが眉尻を吊り上げ、呆然としたなのはを睨みつける。
「自分からそういうこと言うんじゃないの!」
「そうだよ、なのはちゃんにしかできないこと、きっとあるよ」
「だいたいアンタ! 理数の成績はこのアタシより良いじゃないの! それで取り柄がないとは、どの口で言うわけ? あぁーんっ!?」
「うぅ、うわぁぁあんっ!」
アリサが凶悪な笑顔を浮かべ、なのはに飛びかかった。口の端に指を引っかけ、これでもかとばかりに引っ張る。
「うわー、すごい伸びてる」
「ふ、二人とも! ダメだよ。ねえ、優子ちゃんも止めて!」
慌てるすずかにすがりつかれ、優子は落ち着いてうなずいた。
「アリサ」
「なによ、優子」
馬乗りになったアリサが、首だけを振り向かせて獰猛に答える。優子はにっこりと微笑み、サムズアップ。
「やっちゃえ」
「まっかせなさい!」
「優子ちゃーん!?」
「心配しなくていいよ、すずか。これはスキンシップだから」
「ひが、ひがふよ! たふけてー!」
なのはの悲鳴に優子は笑って、ふと、フェンスの向こうを見た。
煉瓦造りの中庭を挟んだ向かいの校舎。貯水タンクや室外機の並ぶそちらの屋上は、生徒には開放されていない。
「……」
優子は目を細めた。立ち入る者のないその場所に、何か、異様な気配がある。
悪意は感じない。生物の気配ではない。たとえるなら剥き出しの刃物を見たときのような、問答無用の存在感。そんな感覚だ。
切羽詰まった事態ではない。ただ放置もできない。
どう対応するべきか思案し、優子がほんの少し注意をそらしたときだ。
不意に気配が脈打った。
魔力の胎動。
まるで意志があるかのような反応。そのことに対し、優子はわずかに息を飲む。結局それは錯覚に過ぎなかったのか、すぐに胎動は収まった。
「……気のせいじゃなかったみたいね」
密かに安堵の息をつきながら、優子は眉をひそめる。昨日まであんなものは無かった。アレが何なのか。どうしてこんなところに存在しているのか。
正面、何も気づかないすずかが首をかしげ、
「どうしたの、優子ちゃん?」
「いや、何でも。ちょっと用事ができちゃっただけだよ、すずか」
優子は思う。確かめなくてはならない、と。
●
夕闇が、じわじわと夜へ移行しつつある。
グラウンドで遊んでいた生徒たちが残らず下校したのを確認して、優子は行動を開始した。彼女がいるのは第一校舎四階の教室。目標の屋上へ通じる階段のすぐ隣だった。だが屋上へは生徒が無断で立ち入らないよう、扉は固く施錠されている。
「――という話だったっけ」
つぶやきながら、階段を上る。机やロッカーが乱雑に積まれた踊り場の奥に、屋上へ通じる扉があった。扉は分厚いスチール製。窓はなく、グレーに塗装されている。
優子は固い手応えのドアノブに手をかけ、一息、掌に魔力を叩き込む。
全力でひねった。
鈍く、破砕音。
ドアノブが引きちぎれた。
「開いてたわ」
確認するようにつぶやきながら、優子は壊れたドアノブを投げ捨てた。正面、ドアノブを無くして情けなさそうにしている扉に手を触れ、押し開ける。
思ったよりも軽い手応えで、扉は開く。
「……開いてたのよ?」
大事なことなので、二回言う。
屋上へ出ると、一陣の風が吹いた。潮の匂いがした。西の空は、空と海が混じり合い、朱色から紫、そして黒へと放射状にグラデーションが広がっている。
「遅くなっちゃったなあ……」
優子はつぶやき、屋上に足を踏み入れた。長く放置されていた屋上は薄汚れ、床には埃や泥が溜まっていた。黒ずみや水溜りを避けながら、優子は屋上の中央へ足を進めた。
こんなことなら、スニーカーに履き替えればよかった、と思う。
周囲はどんどん暗くなっていて、うっかりすると水溜りを踏みそうになる。上履きが汚れるくらいならまだいいが、万が一、制服に傷でもつけたら大惨事だ。
「あー、そうか。体操服に着替えれば良かったんだ。ブルマなら換えもあるし……」
しかし、今さら引き返すのも面倒だ。あまり時間をかけたくないし、居残りの先生に見つかる可能性も無視できない。
仕方ないか、とため息をついたとき。不意に視界の端に青い光が映った。
! と息を飲んで足を止める。乾いた唇を一舐めして、ゆっくりと近づく。
「……これって」
それは宝石だった。四、五センチ大の、青い輝きを放つクリスタル。普通の人間なら、綺麗な石だと思っただろう。だが魔導師としての優子は戦慄した。それは断じて、ただの宝石などではない。
極めて強固に圧縮された、莫大なエネルギーの結晶体。
それが、優子の感じていた違和感の正体だった。
「なんで、こんなものが……」
知らず震える肩を抱いて、優子は唇を噛んだ。
もしも、この圧縮されたエネルギーが解放されれば、海鳴の街はおろか次元空間にさえ影響を及ぼしかねない。そんな超弩級の危険物が、なぜ優子の通う小学校の屋上などに転がっているのか。
「どうしよう……このままにはしておけないけど……」
石は、かろうじて安定している。だが剥き出しの状態で放置していれば、いつどんな要因で暴走を始めるか分からない。出来るだけ早く、魔法的に封印しなければ危険だった。
だが、優子にはその方法が分からない。
息を吐き、眉を詰め、考える。
思案の時間は短い。頼るべきひとを思い出せばそれで十分だ。カブリオレ・クーペ。彼女に相談すれば、きっと良い方法を教えてくれる。
「……とりあえず、持って帰ろっか」
優子はうなずき、膝を折って輝石を拾い上げた。
触れてしまった。

